ドメーヌ・レ・ドゥー・テール
アルデッシュの新星!妥協なきタンデムスタイルから生み出される納得のワイン!


選果テーブルは常時 6人体制で作業
マニュエルとヴァンサンが最初に出会ったのは 1998 年、ミラベルにある農業学校で、ヴァンサンは当時農業学校にある畑とカーヴの仕事に従事し、マニュエルは?分でワイナリーを?ち上げる準備の?環として学校に通っていた時だった。??はその時に意気投合し、いつか?緒にワインづくりを?なうことを誓う。2000 年に学校を卒業したマニュエルは、コトー・デクス・アン・プロヴァンスにあるドメーヌ・グロージュの醸造責任者として働き、その翌年の 2001 年、マニュエルの強い説得と推薦で、ヴァンサンは農業学校を退職し、ドメーヌ・グロージュの栽培責任者として加わる。
2004 年、ワイン哲学の違いからマニュエルがドメーヌを退職し、ヴァール県のサン・マキシマンにあるドメーヌ・デファンの醸造栽培責任者として働き始める。そのマニュエルを追う様に、同年、ヴァンサンがドメーヌ・グロージュを辞め、同じくサン・マキシマン付近にあるドメーヌ・トリエンヌ(デュジャックのジャック・セイスとDRC のオベール・ド・ヴィレーヌがスタートさせたドメーヌ)の醸造栽培責任者として働き始める。ドメーヌ通しが近く、交流が深かったことから、また再び??は毎?顔を合わせることとなる。2008 年、満を持したマニュエルがヴァンサンにドメーヌ?ち上げのプロポーズをし、??先にアルデッシュに戻り 3 ha ほど畑を購?する。2009年、ドメーヌ・トリエンヌを退職したヴァンサンもアルデッシュに戻り、?親が持つ畑5 ha を引き継ぎ、ドメーヌ・レ・ドゥーテールをスタートさせる。

ドゥー・テールのJAJA(×3)
ビニョロンの家系だったヴァンサンとビニョロンの家系でなかったマニュエルが??三脚で経営するレ・ドゥーテール。マニュエルがリュサックにある 3 ha の畑、ヴァンサンがミラベルにある 5 ha の畑を所有し、醸造栽培は 2?で管理している。(他にヴァンサンの?親が畑、マニュエルの妻が事務の仕事を?伝う)彼らのモットーは「消費者が喜ぶ?然派ワインをつくる?」こと。ワインの?点に?切の妥協は許さず、常にコストパフォーマンスの?いワインをつくり上げるために、テイスティングなどお互いの厳しいチェックは?かせない。レ・ドゥーテール「?つの?地」というドメーヌ名には、2 ?の才能、2 ?のそれぞれテロワールの異なるブドウを持ち合わせ、ひとつの素晴らしいワインをつくり上げるという彼ら??同体の強い思いが込められている。

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