ラディコン
フリウリ・ヴェネチア・ジューリア最上の造り手の一人


赤のように複雑な白を、できる限り自然な醸造で
結果としてフリウリを代表するワイナリーとして評価を高めていたラディコンですが、生まれ故郷であるコッリオは伝統的に白ワインの産地であり、「赤ワインが白ワインよりも高価に取引されている事実は、赤の方が白よりも複雑な味わいを持ち、価値が高いものであると世間から認識されているからではないか?」と疑問を持ったスタンコ。赤のような複雑な味わいの白、それを出来る限り自然な醸造で造ることができないかと考察を重ねていきます。
そんななか、スタンコは父エトゥコが行なっているマセレーション(皮や種ごとの醗酵)という仕込みに着目しました。当時、家族だけで収穫を行っていたラディコン家では、当然1日に収穫できるブドウの量には限界があります。1日目、2日目と収穫されたブドウを除梗もせずに皮や梗ごと木桶に放り込んでいくと、自重で潰れたブドウからジュースが出て醗酵が始まります。ある程度の量がまとまり果帽が上ってきたところで人力の圧搾機で絞り、皮や梗と果汁を分けるとモストはそのまま醗酵を続けていく、というシンプルなものでした。
当時エトゥコがマセレーションを行っていたのには、
①電気のない時代に、粒の大きな完熟したリボッラを手動の圧搾機で絞ることが難しかった
②皮に含まれるタンニンが天然の酸化防止効果を持つ
③皮を漬け込むことで皮が柔らかくなり、手動の圧搾機でも限界まで搾れるので、その分果汁が多くとれ収量が増える
という3つの理由がありました。

コルクやビンまでも、ワイン界の通念を壊していく
良質な天然コルクが今後入手困難になることを想定して、コルク業者に今までにない細いコルク、ビン業者に小さな口径の瓶を開発してもらい、2002年からビンとコルクを750mlから500ml&1000mlに変更。空気の接触率が従来の750mlと同じで酸化しにくく、ランチでも2人で飲める500mlのビンを導入しました。
息子サシャへのバトン、セカンドラインの誕生
2006年より、それまでもワイナリーを手伝っていた息子のサシャがワイナリーの経営に参画。2009年からスタンコが個人事業主だった状態から、サシャと共に会社組織へと変更となります。
長期間の醸し醗酵による、ブドウから最大限の抽出を行うようになってから、タンニンを丸くするため、生産量の8-9割を占める白ワインは、樽できっちり3年寝かせ、ボトリング後もビンで3年寝かせているため、収穫年から約6年後にリリースされます(赤にいたっては収穫年から約10年)。その時間的、空間的コストのリスクを軽減するために、サシャの提案で生まれたのがS(サシャ)ライン。生産量の一部だけでもできるだけ早い段階で現金化し、リスクを軽減すると同時に、結果生産量が減ることになる上級キュベに、より強いスポットライトが当たるようにするセカンドラインの仕込みが始まりました。
2016年9月10日スタンコ ラディコン永眠(62歳)。サシャが当主となり、母スザーナと共にスタンコの意志とワイナリーを引き継ぎました。
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